-介護の今と昔- TIMELEAP

食事ケアの変遷

この企画は、 介護のあり方の変化に着眼し、昔の介護を振り返り、今の介護との違いを見直そうとするコーナーです。
解説は、「介護福祉経営士」情報誌 Sunにおいて「タイムトラベル~ケアの過去・現在・未来を探る旅」を執筆されている、神奈川県介護福祉士会所属の井口健一郎氏(小田原福祉会潤生園施設長)と風晴賢治前常任理事が対話形式でケアの昨今について語ります。
2回目は『食事ケア』について見ていきましょう。

  • 井口 健一郎
    KENICHIRO IGUCHI

    社会福祉法人 小田原福祉会 理事
    特別養護老人ホーム 潤生園 施設長
    神奈川県介護福祉士会所属
    創価大学大学院卒業後、小学校教員を経て
    2009年社会福祉法人小田原福祉会に入職
    神奈川県認知症ケア専門士会理事
    桜美林大学 和泉短期大学 非常勤講師

  • 風晴 賢治
    KENJI KAZEHARU

    社会福祉法人 徳誠福祉会
    障害者支援施設 徳誠園 施設長
    日本介護福祉士会前常任理事
    青森県介護福祉士会理事(前会長)
    立正大学卒業後、身体障害者療護施設に生活指導員として入職
    高齢者施設、地域包括支援センターセンター長を経て現在に至る。
    青森大学非常勤講師
    青森県社会福祉協議会代議員

食事の楽しみ

風晴

介護について振り返る連載「タイムリープ」の2回目ですね。今回は「食事ケア」についてです。
施設で生活している方にとって、何が一番楽しみかというと、10人中9人は食事というのではないでしょうか。私の施設でも、毎月の利用者会議(利用者が何でも自由に発言できる会議)では、8割方食べ物の希望・要望で、「あれが食べたい、これを食事で出して」と施設での給食には出しづらい食べ物や料理名がよく出ます。
食には生きるために不可欠な要素がたくさんありますが、ただ出されたものを食べるだけではなく、自分の食べたいものを食べることで満足感や心の平安につながるんですね。

私が、最初の障害者施設に勤め始めたころ(昭和50年代)はコンビニもなく、施設が民家から離れた寂しい場所にあったため、買い物外出以外では嗜好品の購入が困難でした。
そこで来てもらったのが、移動販売車でした。平日のお昼に様々な食材を詰め込んだ地元のご夫婦の移動販売車で、到着を知らせるスピーカーからは民謡が流れ、ローカル色溢れる光景でした。ただ、昔のことなので保冷用の設備はありましたが、夏場はさすがに半解凍になっていたりして、大丈夫かな?と思える物もあり、夏場はナマ物等の購入を利用者には遠慮してもらっていたんです。
井口さんの施設でも何か食事に関するエピソードはありますか?

井口

実は、私の勤める潤生園は自主的に、配食サービスを始めた法人でもあるんですよ。1990年代に働き方改革で週休二日制が導入されました。当時はそんなにコンビニも多い時代ではなかったため、お年寄りたちが買い物難民になってしまった。そういった声を聞いた当時の時田純施設長が職員たちに声をかけ、早番が終わった職員たちが地域のお年寄りたちのために手配りしたことが始まりでした。その後自治会と連携し、「虹の会」というボランティアチームが生まれ、活動が軌道に乗りました。

風晴

そうなんですね。井口さんが執筆されているタイムトラベルにも書かれているように、昔は食事の中に薬を混ぜたり(ふりかけご飯と呼ばれていた)、ご飯とおかずを一つに混ぜたりして、早く利用者を完食させた職員がいい仕事をしていると思われた時期もあったようですね。

井口

普通に考えて満腹感は本人の感覚ですよね。水分量に関してもそうだとは思いますが、医療職や介護職が「本人のために」と思っていることが本人に負担をかけてしまう可能性もありますね。
もちろん、食事や水分は生命をつなぐためには必要不可欠なものです。しかし、本人に負担をかけてしまっては、QOLは損なわれ、拷問になってしまいます。ご本人のことをしっかりアセスメントした上で私たちは、本人の満足感も考えながらケアすることが介護福祉職としての食事介助ですね。

風晴

本当にそうですね。ところで、飲食に関連しての悩みどころに、お酒と煙草があります。私のいた障害者施設では当時、煙草は居室内でもOKでした。さすがに今は居室内では禁煙になったようですが、当時は寛大でしたね。
お酒に関しても最初は禁酒でしたが、どこから手に入れたのか「隠し酒」が横行し、隠れてベロンべロンに酔っぱらった人が出た為にやむなく飲酒を許可し、徐々に許容量を増やしていきました。その結果「いつでも飲めるのだから、今日はやめとこう」と考えるようになり、結局お酒のトラブルはなくなりました。「飲んではダメだ」というように規制をかけられていると、反発したりどんどん不満が増えますが、いつでも飲めるとなると意外と欲しくなくなるものなんですね。

口から食べること

風晴

いろいろな団体・個人やサークルに施設へ来ていただくことがありますが、一番うれしいのは、食べ物関連の訪問ですね。お寿司、ラーメン、うなぎ等、プロの職人さんの作る本物の味に利用者と共に職員も至福の時間を過ごした思い出があります。
施設での食事メニューを考えるのは管理栄養士、栄養士ですが、作る方の嗜好や生まれ育った環境等が微妙にメニューに反映されるように思います。うちの施設では調理員として、以前に有名ホテルや料亭等で腕を振るっていた人が働きだしたら、味付けや盛り付けがガラッと変わって感動したことがありました。

井口

昔は、特養の調理員さんは板前さんも多かったですね。行政が主体ということと、養護老人ホームからの派生でしょうか。うちでもお寿司のカウンターを用意し、握ってもらった写真が残っています。今は、食品衛生法や大量調理マニュアルに準拠するなど食品衛生については大型施設では法律が厳しいですよね。食はいのちとともに楽しみの場でもあるということが重要です。

これは少し前の話なのですが、お年寄りはピザやハンバーガーなどのファーストフードがお好きな方が多いです。コロナ前、外出レクリエーションでどこか行きたいところありますか?と聞いたときに、「ラーメンが食べたい」「かつ丼が食べたい」「ハンバーガーとポテトが食べたい」「ピザが食べたい」などの声が上がりました。食事形態についても心配したのですが、意外とむせずに、好きなものや食べ慣れていたものは食べられるんですよね。これは大きな驚きでした。

風晴

そうですね。意外とご本人は気にせずに食べられる時がありますよね。ただ、こちらとしては高齢者や咀嚼嚥下機能の低下している人は、誤嚥、喉つまりの心配がどうしてもあります。私はパンが食事に出た時は特に注意しています。施設でも、食前の口腔体操を強化したり、パンの種類や大きさを代えたりと様々な試行を繰り返しました。

特養に勤めていた時に大きな課題だったのが、経口摂取が段々とできなくなった、いわゆる摂食嚥下障害の人に胃ろうの増設をするかどうかでした。
その当時、テレビ番組で、とある病院で嚥下困難な患者さんを懸命に努力して、経口摂取まで持っていくという番組が大きな反響を呼んだことがありました。それから医療技術、食事ケアについての研究などが進み、経口摂取の取り組みも活発になり、経口摂取がし辛くなってきたらすぐに胃ろうにするということは少なくなったように思います。

井口

うちの施設は「最期のワンスプーンまで口から食べる」をモットーにご利用者が人間らしく生を全うできるよう、負担を減らし、その生命過程を支えていくことを実践している施設です。
これは私が介護現場で介護職員をしていた時の話ですが、医者に胃ろうをしなければお父さんは死ぬと言われ、潤生園は胃ろうであれば受け入れられないという、俺が親父の寿命を決めるのか、と震えながら泣いていらっしゃったことが思い返されます。その当時の施設長、相談員、看護師、医師が「あなただけに背負わせない、私たちはチームだから」と親身に話を聞き、「お父さんがお母さんを看取った時にどのような心情だったのか教えてもらえますか。お父さんが元気な時にはどんな最期がいいと言っていましたか」と話を伺い、最終的には胃ろうはせず、戻ってきました。そのご利用者はその後回復され、1年以上寿命を伸ばし、永眠されました。今でも忘れられないエピソードの一つです。

風晴

本当に胃ろうについてはご家族も判断に悩まれることの一つですね。職員がご家族に寄り添って話を聞く必要があります。

施設側からみた食事

風晴

介護について振り返る連載「タイムリープ」の2回目ですね。今回は「食事ケア」についてです。
施設で生活している方にとって、何が一番楽しみかというと、10人中9人は食事というのではないでしょうか。私の施設でも、毎月の利用者会議(利用者が何でも自由に発言できる会議)では、8割方食べ物の希望・要望で、「あれが食べたい、これを食事で出して」と施設での給食には出しづらい食べ物や料理名がよく出ます。
食には生きるために不可欠な要素がたくさんありますが、ただ出されたものを食べるだけではなく、自分の食べたいものを食べることで満足感や心の平安につながるんですね。

私が、最初の障害者施設に勤め始めたころ(昭和50年代)はコンビニもなく、施設が民家から離れた寂しい場所にあったため、買い物外出以外では嗜好品の購入が困難でした。
そこで来てもらったのが、移動販売車でした。平日のお昼に様々な食材を詰め込んだ地元のご夫婦の移動販売車で、到着を知らせるスピーカーからは民謡が流れ、ローカル色溢れる光景でした。ただ、昔のことなので保冷用の設備はありましたが、夏場はさすがに半解凍になっていたりして、大丈夫かな?と思える物もあり、夏場はナマ物等の購入を利用者には遠慮してもらっていたんです。
井口さんの施設でも何か食事に関するエピソードはありますか?

井口

実は、私の勤める潤生園は自主的に、配食サービスを始めた法人でもあるんですよ。1990年代に働き方改革で週休二日制が導入されました。当時はそんなにコンビニも多い時代ではなかったため、お年寄りたちが買い物難民になってしまった。そういった声を聞いた当時の時田純施設長が職員たちに声をかけ、早番が終わった職員たちが地域のお年寄りたちのために手配りしたことが始まりでした。その後自治会と連携し、「虹の会」というボランティアチームが生まれ、活動が軌道に乗りました。

風晴

そうなんですね。井口さんが執筆されているタイムトラベルにも書かれているように、昔は食事の中に薬を混ぜたり(ふりかけご飯と呼ばれていた)、ご飯とおかずを一つに混ぜたりして、早く利用者を完食させた職員がいい仕事をしていると思われた時期もあったようですね。

井口

普通に考えて満腹感は本人の感覚ですよね。水分量に関してもそうだとは思いますが、医療職や介護職が「本人のために」と思っていることが本人に負担をかけてしまう可能性もありますね。
もちろん、食事や水分は生命をつなぐためには必要不可欠なものです。しかし、本人に負担をかけてしまっては、QOLは損なわれ、拷問になってしまいます。ご本人のことをしっかりアセスメントした上で私たちは、本人の満足感も考えながらケアすることが介護福祉職としての食事介助ですね。

風晴

本当にそうですね。ところで、飲食に関連しての悩みどころに、お酒と煙草があります。私のいた障害者施設では当時、煙草は居室内でもOKでした。さすがに今は居室内では禁煙になったようですが、当時は寛大でしたね。
お酒に関しても最初は禁酒でしたが、どこから手に入れたのか「隠し酒」が横行し、隠れてベロンべロンに酔っぱらった人が出た為にやむなく飲酒を許可し、徐々に許容量を増やしていきました。その結果「いつでも飲めるのだから、今日はやめとこう」と考えるようになり、結局お酒のトラブルはなくなりました。「飲んではダメだ」というように規制をかけられていると、反発したりどんどん不満が増えますが、いつでも飲めるとなると意外と欲しくなくなるものなんですね。

介護食の歴史

風晴

食事といえば、昔は摂食嚥下障害の高齢者に、いわゆる刻み食が提供されることが多かったですね。メーカー側より様々なトロミ剤が開発され、その後ソフト食、ムース食や真空冷凍の食材等食べやすく、しかも高栄養で見た目もよく美味しい形態のものが次々に出てきました。それにより選択の幅が広がり、食べる楽しさが増したように思います。

井口

ここは潤生園の施設長として言わなくてはならないことが(笑)実は介護食を開発したのは潤生園なんです。そのエピソードも、何を食べてもむせてしまうおじいさんに食べられるものを作ろうと研究開発したものです。そのおじいさんは水を飲んでもむせてしまうわけですから、非常に困りました。そしてある日よだれをたらしてうたた寝している姿を見た当時の時田施設長が「このよだれ、呑み込んだらむせるのかなあ」と観察し、よだれをすすってむせなかった姿を見て「これだ!」とひらめいたわけです。
時田施設長は国会図書館まで言って「人は死ぬまで嚥下機能はある」という文献を見つけ、小躍りしたそうです。そして、煮こごりをヒントに研究開発をしたのが介護食の前身である「救命プリン」です。この情報は朝日新聞の夕刊で取り上げられ、その日は電話がなりやまなかったそうです。我々介護福祉士の利用者の状態を観察し、文献レビューし、その人の状態にあった食事形態を考え出す。まさに介護過程の実践ですね。

風晴

そうだったんですね。利用者の様子からどうすればいいのかを考える、まさに介護福祉士の専門性に関わることですね。
高齢者デイサービスは今や群雄割拠の様相ですが、利用者の間では“食事が良い”デイサービスが口コミで伝わり、デイサービスの格付けや利用者増に反映されているようです。噂や口コミというのは、水面下でかなりの影響力を持っています。

井口

潤生園の地域密着型デイサービスやすらぎの家の中には、スーパーで買い物に行き、往年の主婦たちがおいしい家庭料理を振る舞うところもあります。もちろん、さらにベテラン主婦のご利用者たちにもアドバイスを受けながら楽しい時間を提供しています。なかなかこちらは数値的なエビデンスになりにくいですが、自分が役に立っている。共通の話題で楽しめる。ここは居心地はいい、はご利用者の生きる励みにもなりますね。もちろん、おいしいものは休日に遠くても我々も含め、みなさん食べに行くわけですから、おいしい食べ物自体も活力の源ですね。

風晴

ホームヘルパーの業務には身体介護と家事援助があり、身体介護の方が報酬は高いのですが、実際は家事援助の方が難しいといわれますね。以前に私が担当した利用者は1時間で6品作ってくれとヘルパーさんに言ってきた方がいて困った経験があります。特に若いヘルパーさんですと昔ながらの和食など、それまで作った経験のないメニューをリクエストされても作り方がよくわからなかったり、好みや味付けが一人ひとり違うということが困難度をアップさせています。

井口

家事援助はまさにシニアの新たな活躍の場でもありますよね。うちでも70歳のヘルパーさんが家事援助中心に頑張っています。

風晴

私は現在障害者支援施設に勤務していますが、解決の糸口がなかなか見つからないのが、早食いと多飲症の人が多いことです。もちろん会議等で解決策を議論して試してみますが、ものの数分であっという間に食べ終わり、なかなかうまくいきません。当然よく咀嚼できていないし咽こみます。
また、高齢者施設では水分を取りたがらない人が多く、脱水に気を付けていましたが、障害者施設では逆に薬を服用している副作用等で、多飲症傾向の人が多く、職員との“イタチごっこ”が続いています。

井口

実は、うちでも夏になると「水中毒」になるご利用者が・・・多飲症は、重度化すると生命の危険もありますね。水分を大量に摂取すると血液中のナトリウム濃度が低下し、低ナトリウム血症になった結果、めまいや頭痛、多尿、頻尿、下痢を引き起こす危険性があります。何ごとも適量が大切ですね。

風晴

本当に適量は大事ですね。それと生きることは食べることですね。適量を楽しく美味しく食べられるのは健康な証です。環境作りに限界はないということを心掛け、私たち介護福祉士は日々のケアに向き合っていく必要があります。
今回は、配食サービスの先駆けとなるエピソードや介護食の開発に関して、井口さんが施設長の潤生園が深く関わっていたのを知りました。
それまで誰も踏み込んでこなかったことにチャレンジするのは強い意志と勇気が必要です。そして地域を巻き込み、やがて自治体・全国に拡がっていったという好例ですね。またご利用者の嚥下機能が衰えても口から食べてもらいたいという信念と情熱が、ご利用者の日々の様子を観察し、一瞬を見逃さない気づきからヒントを得て「救命プリン」に繋がったという当時の時田園長に信念と情熱を感じました。
2回目は、食事ケアをテーマに介護における食に関して振り返りました。井口さん、有難うございました。