公益社団法人 日本介護福祉士会

TIME LEAP -介護の今と昔-

04 「車いす」について

この企画は、介護のあり方の変化に着眼し、昔の介護を振り返り、今の介護との違いを見直そうとするコーナーです。解説は、「介護福祉経営士」情報誌 Sunにおいて「タイムトラベル~ケアの過去・現在・未来を探る旅」を執筆されている、神奈川県介護福祉士会所属の井口健一郎氏(小田原福祉会潤生園施設長)と風晴賢治氏(日本介護福祉士会前常任理事)が対話形式で介護の昨今について語ります。今回は、「車いす」をテーマに振り返ってみましょう。

井口 健一郎 KENICHIRO IGUCHI

社会福祉法人 小田原福祉会 理事
特別養護老人ホーム 潤生園 施設長
神奈川県介護福祉士会所属
創価大学大学院卒業後、小学校教員を経て2009年社会福祉法人小田原福祉会に入職
認定介護福祉士養成研修講師
桜美林大学 和泉短期大学 非常勤講師

風晴 賢治 KENJI KAZEHARU

社会福祉法人 徳誠福祉会
障害者支援施設 徳誠園 施設長
日本介護福祉士会前常任理事
青森県介護福祉士会理事(前会長)
立正大学卒業後、身体障害者療護施設に生活指導員として入職
高齢者施設、地域包括支援センターセンター長を経て現在に至る。
青森大学非常勤講師
青森県社会福祉協議会代議員

「車いす」について

車いすの思い出

風晴

4回目となります今回は「車いす」についてです。
車いす(ホイールチェア)は、文字通り車輪の付いた椅子のことでありますが、以前は椅子としての機能性は高くなく、あくまでも移動手段としてのアイテムと考えられていたように個人的には思いますね。なので、標準的な自走式の車いすに長時間座っていると、お尻が痛くなりました。

井口

昔の車いすは、座り心地はあまり良くなかったですね。特にリクライニング型は安定性も含めて快適ではあまりなかったと思います。本当にお尻もすぐに痛くなりましたし。

風晴

日本の施設では、“寝かせきり”という言葉がありますが、「褥瘡をつくらないよう、離床が大事だ」と言って、車いすに座らせましたが、今度は“座らせきり”という新たな現象も生まれました。

井口

本人主体はどこにやら。(笑)本質とはずれていますね。現在は利用者中心。利用者ももちろん、我々と同じように感情があります。その人の人権を守る、尊厳を守るためには、ただベッドから開放して車いすに座ってもらうだけではなく、その先が重要ですね。座りすぎだと仙骨部に褥瘡も出来ますし、しっかり排泄ケアができていないと非常に不快です。

風晴

今では、座面の角度を自由に変えられるタイプの車いすもありますが、30年くらい前に私が当時指導を受けた理学療法士からは、体圧が分散するように車いすの座面の角度を定期的に変えるようにと言われました。
座らせきりでお尻が痛くなると、当然座っている方は、自力で痛みを軽減しようと上体をずらそうとします。そうなると座面からずり落ちることがあります。
ひどい時は、フットレストとシートの間に身体が挟まった状態になったり、シートベルトをしている場合は、首にシートベルトが引っ掛かり、とても危険な状態になり、冷や汗をかいたことがありました。

井口

私たちだって、同じ姿勢で座り心地がよくない椅子だと疲れてずりますもんね。

風晴

特養にいた時に、職員がノーマルな車いすに同じ体勢で座って、どのくらい耐えられるかという体験をしたことがありましたね。体験したのは5~6名の職員だったのですが、10分以上座り続けた職員は皆無。全員途中でギブアップでした。そして、積極的に訴えることが難しい高齢者の方に、こんなにつらい思いをさせていたのかと職員一同反省しました。

井口

まさに体験に勝るものはなし、ですね。私たちの法人では目隠しをして、車いすに縛られたり、声をかけられない体験、介護者のペースで食事介助をされる体験、オムツ体験などを新卒者研修で毎年やっています。やはり、当事者にならないと分からないこともたくさんありますよね。

風晴

本当にそうです。
私が障がい者施設にいた当時、利用者に後縦靭帯骨化症(こうじゅうじんたいこつかしょう)という難病の方がいました。首から下が麻痺していたので、電動車いすの操作レバーを手で遣えませんでした。そこで考えたのが、何処にでもある折れ曲がるプラスチック製のストローでした。操作レバーの長さが3センチくらいしかなかったので、レバーにストローを差し、顎でストローを上下に動かし、いわゆる顎で操作するチン・コントロールで自在に移動していました。身近なもので工夫、代用するアイデアの一つでした。

井口

まさに生活の知恵ですね。

車いすとスポーツ

風晴

国際障害者年が1981年(昭和56年)にあり、それがきっかけで障がい者に少しずつ関心が寄せられるようになった気がしますね。その一つとして、車いすのレースが行われるようになり、車いすマラソンも、大分の「太陽の家」の中村裕氏が中心になって、1983年に大分国際車いすマラソンとして陸連から認定され、1984年の夏季パラリンピックからは正式種目となりました。
その頃だと思いますが、青森市でも市社会福祉協議会が主催した車いすリレーが行われ、私のいた施設も参加しました。リレーと言っても順位を競うものではなく、公園の外周を何人かの“車いすランナー”が、たすきリレーしていくもので、「みんなで外に出て車いすを市民にアピールしよう」というような趣旨で開催されていました。

井口

そんな前から!素晴らしい!

風晴

私は、昔からスポーツをするのも観戦するのも大好きで、学生時代は東京に住んでいたこともあり、様々なスポーツを見に行きました。また、ボランティア活動もしていた影響で、当時障がいのある方々とも多少ではありますが交流もありました。そこで学生時代の卒論は、「障害者とスポーツ」をテーマにしたんです。40年以上前は、まだまだ障がいのある方が気軽にスポーツができる時代ではなかったので、障がい者がスポーツ観戦をするのはおろか、スポーツ経験者や資料を探すのも一苦労でした。足しげく国会図書館へ行っては文献等を探したものです。
また、以前の勤務先であった特養に、当時の「車いすダンス」協会の青森県の会長さんが看護師で勤めていたんです。利用者が車いすに座り、職員と手を取り合いながら車いすを操作し、隣に移動していくというスタイルで、毎週車いすダンスの時間を設けて、音楽に合わせながら優雅に華麗に?ダンスを楽しんでいましたね。思えば、その時の利用者の表情は笑顔で本当に生き生きとしていました。何度か車いすダンスの会のメンバーが施設に来てもらい、鮮やかな衣装を纏い本物のダンスを披露してくれ、イベントを盛り上げてくれたのは、とても懐かしい思い出です。

風晴

以前は、パラリンピック等のパラスポーツは、リハビリの対象や好奇の目としての視点で捉えられていたように思います。昨年の東京パラリンピックは、国民にパラスポーツもスポーツの一種であり、パラリンピック出場者は鍛え抜かれたアスリートを印象付け、共生社会を意識させる絶好の機会だったと思います。これまでも車いすテニスや車いすバスケは知られていましたが、車いすラグビー等の迫力や重度の障がいを持つ選手が競うボッチャという競技も広く知ってもらえたのではと感じています。
それと、個人的には車いすテニスの国枝慎吾選手や上地結衣選手がレジェンドとして世界で活躍されているのはうれしい限りです。願わくば、優勝賞金も一般の優勝者と差がないくらいになってほしいものです。
今は、車いす利用者たちのファッションショーも開かれたりしていますよね。以前はネガティブでマイノリティなイメージを持たれた車いす利用者ですが、これからは“個性”として社会が普通に受け入れる世の中になっていくと思います。

井口

そうですね。東京2020ではパラリンピックにも注目が集まりましたね。
今年はあるドラマでは車いすテニスのプレーヤーについてのスポーツマネジメントがテーマになっていました。私もパラアスリートやアーティストなど、人間の可能性に挑戦する姿勢に感動を覚えています。多くの人たちがパラアスリートやアーティストたちの姿からそれぞれの人が自身の内なる可能性に気づいたり、想像を超えるパフォーマンスに感動しています。そのことが心のバリアフリーにつながってくれればと願う一人でもあります。
私たち、介護福祉士はとかく介護保険サービス事業者としてフォーマルサービスのケアをしていること介護の専門性に錯覚することもありますが、同じ人間として、仲間として泣き笑いを一緒にすることが一番大切に感じます。介護福祉士のみなさんにはぜひ、当事者の方と友達になってもらい、友達の生活の困りごとを親身に聞く機会を介護福祉士たちにはもってもらいたいものです。私にとっても本当の福祉を教えてくれたのは、職場の先輩や学校の先生ももちろんそうですが、それ以上に、当事者の方々から教えて頂いたことがたくさんあります。

車いすの進化

風晴

そういえば、ずっと以前の話ですが、青森県内のある障がい者施設では、車いすの運転免許証制度を独自に作っていたことがありました。たしかそこでは実技試験があって、合格しないと車いすで外出するのに介助者等が付くというルールだったと思います。
最近、地方でも電動のシニアカーに乗っている高齢者を見かけることがよくあります。シニアカーに乗る人が増えたことで、たまに道路の側溝等に転落したという記事を見かけることがあります。
また、私も実際に経験したことですが、踏切のある線路上で車いすの前輪がレールの隙間に挟まってしまい、身動きできないでいる高齢者に遭遇したことがありました。その時は、幸い警報機が鳴っていない時だったのですが、私も焦ってしまい、隙間から車輪を外すのに、もの凄く時間がかかったように感じました。誰も周囲にいなかったらと思うと、背筋が寒くなります。安心安全に利用できる工夫がさらに必要なのかもしれません。

井口

私の友人でもある車いすユーザーのためのプラットホームWheeLog!の織田友理子さんもこのことに言及しておりました。介助する側もされる側も車イスへの理解が今後も必要になりますよね。

風晴

本当にそうですね。戦争は絶対にあってはならないことですが、その一方で戦争があった故に科学の発展が加速されたり、発明されたりという皮肉な結果をもたらしたということがありますね。車いすや補装具の進化も考えてみれば原点は戦争だったかもしれません。社会の高齢化や社会保険制度の改定等で、福祉用具は飛躍的に進歩しました。今や国際福祉機器展等には、国内外から数千種類の商品が出品され、とても1日ではまわり切れないほどの規模になっていますね。車いすもその人の身体状況や障害特性等に合わせた、その人専用のマイ車いすが主流になってきました。モジュール型、各パーツごとに分離され、それを組み合わせるタイプ等々。
今は、電動車いすのバッテリーやモーター等も軽量化されてきましたが、以前はバッテリーだけで20㎏はあり、車いすの総重量が60㎏以上はあったと思います。本当に持ち運びが大変でした。それから素材もスチールからアルミが主流になり、またチタンやステンレスなどの素材もあり、飛躍的に丈夫で軽量化されました。車いすもその用途によって、様々なタイプがあり、使い分けられるようになりました。また、シートやクッションも長時間座っていても体圧が分散され座り心地のよい物や、床擦れになりにくい物等、様々な開発がされています。

井口

本当に車いすも日々、進化していますね。

風晴

本当にそうですね。これからは、入浴自体もIT化、システム化が進んで行くのではないかと思います。人間の満足度は効率化だけでは得られませんが、介護する側される側双方にとって、プラスになるのであれば、前向きに進んで行ってもいいのではないでしょうか。

車いすから見る社会

風晴

今でこそ、車いす利用者が利用できるトイレは至る所にありますが、以前はほとんどないと言っても過言ではないくらいでした。特に私がいる地方都市では、建物内等に事前にトイレの確認に行った時に、あからさまに嫌な顔をされ、「そういう方は店に来ないで下さい、迷惑です」と直接言われたことさえありました。またある時は、見た目は立派な保養施設(ホテル)に行った時に、障害者用トイレに入ったら、そこは物置と化していて、足の踏み場もないくらいで、唖然とした記憶があります。
そんな中で、青森県の成田春洋さんが中心となり、青森県内の店舗・建物で『車いすでも入れるトイレマップ』を作成しました。成田さんは、当時は無認可施設の代表をしておられ、私に「福祉とはこういうものだ」ということを行動を持って教えてくれた恩人の一人です。携帯電話やパソコン等もまだまだ一般的には普及していない時代、広い県内を時間を掛けて地域ごとに一つ一つ地道に調べました。オールカラーで、素晴らしい完成度のマップでしたよ。今と大きく違うのは、車いすでも入れるトイレの数が圧倒的に少なかったということでしょうか。
今でも時折トイレの間口が狭く車いすが入らなかったり、トイレまでの通路が狭かったり、荷物等でふさがっていたり等と、様々な“障害の壁”のある建物を見受けます。制度は整ってきても、なかなか社会に理解されない場合は、利用者や私たち介護する者が声を上げていかなければならないと感じますね。

井口

そうなんですね。先程お伝えしたWheeLog!というプラットホームは車いすユーザーの軌跡(ログ)を足掛かりに車イスの走行マップを作るというアプリですが、実際に街歩きをし、実踏し、仲間ともレストランに行ったり、名所に行ったり、楽しみながら町の地図を作るものになります。私も参加する中でびっくりしたのは、小田原に根府川という漁港近くの観光地があるのですが、その駅には階段があり、車イスの人は降りれません。実はJRでは、小田原駅から無料タクシーで車いすユーザーのために支援しているというものがあったそうです。またレストランで段差があっても一緒に車イスをあげてくれる店員さんもいるところなど、町の魅力の再発見にもつながりましたが、まだまだそういった取り組みが一般市民にまで伝わっていない現状もあります。
私は長年小田原市の家族介護教室の講師をしていますが、一番多く聞かれる質問は「車イスユーザーでも行ける飲食店はありますか?」です。現在では車いすのまま入れる温泉なども登場しています。いつかどこかで介護福祉士常駐の旅館なんてサービスができたら素敵だなあと思っています。

風晴

本当にそうですね。
以前いた施設で問題になったのが、足腰が衰えて転倒しやすくなったからと言って、安易に車いすにずっと座らせ、「歩かないようにした」ことでした。
不安定ですが立ち上がることができるという身体状況は一番転倒のリスクがあるため、リハビリをするにも躊躇します。そこで、車いすを使ってもらい、極力立たせないようにするために、テーブルを体の前に据え付けたり、大きなクッションを抱かせたりすることが昔はありました。
しかし、歩かなくなると当然、より足腰の筋力低下や関節可動域も狭まり、さらに転倒のリスクは大きくなります。ご本人の望むことは無視され、心身の低下を招き、転倒の責任回避だけを考えてしまうという悪循環が生まれました。

井口

よいとは言えない状況ですね。

風晴

さらに、ご家族が自力歩行に反対し、「骨折したら施設はどう責任を取ってくれるんだ」とも言われ、余計に歩くことに消極的になってしまいました。
それでも、元々歩いていたのですから足腰が衰えようが、歩きたくなるのは当然のことで、その欲求を無理やり止めるというのはできません。理学療法士等とも相談して、できるだけ安全に歩いてもらうために、本人と目標設定を共有し、生活の中でも足腰のリハビリに繋がるよう、ご本人も職員もそしてご家族にも納得がいくまで説明し、バックアップ体制を作りました。
自分の足で歩きたいというご本人の熱意もあり、最終的に三点杖を遣いながらゆっくりですが、ご自分の意志で歩行し精神的にも落ち着いて過ごされました。

井口

自分自身が歩けなくなったらどう感じるのでしょうか。当事者抜きに話を進めないでほしいと思います。もちろん、施設側にリスクは存在します。それは当事者も私たちと同じ心と感情をもった一人ひとりですから。理想論に聞こえてしまうかもしれませんが、介護者中心に本人の自立と尊厳を妨げることはあってはならないとも思いますし、下肢筋力を低下させた結果、より大きな事故につながることもあります。
当事者の方々とも話していますが、我々支援者、専門職だけではなく家族なども本人との関わり方を考えて頂けることが大切に感じます。家族ももちろん本人を大切に思っていると思います。ただ、一番大切なのは我々がケアを行う当事者が納得してイキイキと暮らせることなのではないでしょうか。以前、これは治療のために仕方ないとして身体拘束をしている病院で働いていた介護福祉士の話を聞きました。拘束は本人も苦痛ですし、その姿を毎日みている職員も心を痛めていたそうです。私たち介護福祉士は生活、人生を支える専門職です。本人の気持ちに耳を傾けて日常の小さな喜びに一緒に歓喜し合える専門職でありたいと思います。