公益社団法人 日本介護福祉士会

TIME LEAP -介護の今と昔-

05 福祉施設の変遷

この企画は、介護のあり方の変化に着眼し、昔の介護を振り返り、今の介護との違いを見直そうとするコーナーです。解説は、「介護福祉経営士」情報誌 Sunにおいて「タイムトラベル~ケアの過去・現在・未来を探る旅」を執筆されている、神奈川県介護福祉士会所属の井口健一郎氏(小田原福祉会潤生園施設長)と風晴賢治氏(日本介護福祉士会前常任理事)が対話形式で介護の昨今について語ります。
第5回は、『福祉施設の変遷』をテーマに振り返ってみましょう。

井口 健一郎 KENICHIRO IGUCHI

社会福祉法人 小田原福祉会 理事
特別養護老人ホーム 潤生園 施設長
神奈川県介護福祉士会所属
創価大学大学院卒業後、小学校教員を経て2009年社会福祉法人小田原福祉会に入職
認定介護福祉士養成研修講師
桜美林大学 和泉短期大学 非常勤講師

風晴 賢治 KENJI KAZEHARU

社会福祉法人 徳誠福祉会
障害者支援施設 徳誠園 施設長
日本介護福祉士会前常任理事
青森県介護福祉士会理事(前会長)
立正大学卒業後、身体障害者療護施設に生活指導員として入職
高齢者施設、地域包括支援センターセンター長を経て現在に至る。
青森大学非常勤講師
青森県社会福祉協議会代議員

福祉施設の変遷

福祉施設の変遷

井口

今回は、福祉施設の成り立ちと変遷についてお話をお聞きできればと思います。
まず初めに近年の福祉施設は1963年以降の老人福祉法に基づく設置から整備されてきましたね。

風晴

はい。福祉施設の名称は時代と共に変化していて、60年位前までの高齢者施設は「養老院」と呼ばれ、“姥捨て山”と揶揄されることもありました。その後、老人福祉法が整備され、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホームに区別されました。

井口

老人福祉法以前はいわゆる「社会防衛的な機能」とみられ、養老院でも高齢者だけではなく、低所得者、障がい者、病のある人もいっしょくたにされていて、どちらかといえばそういった人たちが犯罪を起こさないように収容される色合いも強かったとされています。今の福祉とはかけ離れた考え方です。そして公共の福祉の観点から当事者のための施設として見直されたのが1960年代ですね。

風晴

それから、2000年の介護保険法になってからは、特別養護老人ホームは「介護老人福祉施設」として、「介護老人保健施設」や「介護療養型医療施設」と共に”公的三大介護施設“と呼ばれ、高齢者の増加と相まって全国に広がっていきました。その中で、「介護療養型医療施設」は紆余曲折があった末に「介護医療院」として現在に至っています。
一時期、老人保健施設に長期間の入居者が増え、“特養化”したことがありました。特養へ入居するための“腰掛け”施設と捉えていたご家族がいたことは事実ですが、本来の目的とは違うため、その後は国もすみ分けをはっきりさせましたね。

井口

介護老人保健施設や介護療養型医療施設は昭和の時代にあったいわゆる「老人病院」の反省から成り立っていますね。通史では、「高齢者が医療費を圧迫したことから社会的入院が問題となった」ところばかりフォーカスされますが、「老人病院」の実態も薬漬け、寝かせきり、共用スペースがなく、高齢者はあまりよいケアを受けてこれなかったことも、住み慣れた地域で可能な限り在宅でケアを受ける、利用者主体、自立支援、尊厳の保持を基本とする介護保険制度を形成する大きな要因の一つでしたね。

風晴

高齢者施設は、民間では介護保険施行前は宅老所、高齢者保養施設等の名称で呼ばれ、介護保険施行後に様々な形態の施設が出来ました。認知症対応型共同生活介護(グループホーム)、ケアハウス、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅等々。有料老人ホームが出来た時は、“優良”老人ホームの間違いではないかと思ったくらいでした。
ただ、サービス付き高齢者住宅も「サービス付き」と謳っているので、少し勘違いをしてしまい、特養と同じように施設内ですべて“込み込み”で介護を担ってくれると思う人が多くいました。

井口

たくさん種類がありすぎて高齢者も混乱してしまいますよね。その背景には個別ケアや小単位がよいとされる認知症の方が増加したことや孤立死、孤独死などが問題になった社会背景が反映されたものですね。これは日本人の生死観の影響や医療・介護人材確保、ボランティア人材の確保が困難な状況など様々な要因があるとは思いますが、欧米のホスピスはあまり日本では広がっていませんね。

障害者施設の変遷

風晴

障がい者の施設は、現在は知的障がい者や身体障がい者の区別はなくなり、「障害者支援施設」として一本化されていますが、昔は「精神薄弱者更生施設」、「身体障害者療護施設」と分けられていました。そこで働く介護職員は、当時「寮母」と呼ばれ、知的障害者施設では現在で言う支援員を“先生”(利用者は生徒)と呼んでいる施設もありました。

井口

障がい者支援は「賞と罰」高齢者介護は「お世話」と今の福祉とかけ離れた実態もありましたね。

風晴

療護施設は、時代によって入居している方の障がいに特徴がありました。私が入職したころ(40年くらい前)は脳性麻痺と東北地方に多かった脳血管障がいの人で7~8割を占めていました。今は障がいも多様化しており、よく言われるご利用者の「高齢化」それに伴う「重度化」が進んでいます。
“人生60年”と言われた頃であれば、身体障がいや知的障がいのある方の寿命は一般の人に比べると短かったのかもしれませんが、さすがに今は80歳以上の方も多くいて、私のいる施設でも昨年100歳を迎えた知的障がいのある女性がいます。この方は施設の第1期生として、50歳の時に入居したので、現施設で人生の半分を過ごしたことになります。
当時は、高齢者施設も障害者施設も「収容施設」としての側面を持ち、世間から“隔離”されていましたが、ノーマライゼーション等諸外国の考え方や取り組みが日本にも入り、施設を基点とした「生活施設」と位置付けが変化してきましたね。また国は様々な施策を打ち出して在宅路線へ導いていますが、在宅介護の人材不足や「やっぱり最後は施設でしょう」という施設重視傾向もまだ根強くあり、“施設不要論”はだんだんと聞かれなくなってしまったように思います。

井口

昔はダウン症の人は短命と言われていましたが、現代医学の進歩によって高齢になられる方も数多くいらっしゃいます。また障がいのある方を支えてこられた親御さんも高齢になられ、8050問題など取り沙汰されています。
私も障害者施設の入居者の方が高齢化していることを聞き、様々な障害者施設に足を運びました。象徴的な部分でいうと知的障害者施設のハード面はそもそも車イスユーザーや看取りに対応していない。これは養護老人ホームもそうです。また人間は必ず年を取る、そのことを当時はあまり意識していなかったように思います。そこで私の勤める潤生園では障がい者も高齢者も利用できる「共生型短期入所」を作りました。現在では老若男女支援が必要な方がご利用されています。地域社会自体が多様な年齢で社会を形成しているので若い人だけ、高齢者だけの施設には私は違和感がありました。これは行政の括りで制度を成り立たせるためには仕方ない一面もありますが共生型になったことで高齢者にとっても障がいがある方にとっても職員にとってもよい意味で刺激となっているように感じます。親子利用もできますしね。あとは職員の疾病、疾患に対する知識が必要ですね。

高齢者施設の変遷

風晴

施設の様式も時代によって流行りがあり、回廊型やユニット型等がもてはやされました。新規の特別養護老人ホームは現在地域密着型(ミニ特養)が主流になっています。
また、今は殆どの施設は個室が主流になっていますが、昔は6人部屋等の多床室が当たり前の時代でもありました。今でも特養では、部屋代が安い多床室を希望するご家族が多いとも聞きます。民間の福祉施設では、トイレ・洗面台付きの部屋とつかない部屋では部屋代に差を設けているところが多いように思われます。
今から20年くらい前の話しですが、当時グループホームや有料老人ホームが次々とできた時期に、こんなに乱立して、それぞれの経営は大丈夫なのかと思ったことがありました。そんな時、当時県の職員だった方とお話しする機会があり、「いずれ施設は淘汰されていくだろう」とボソッと言われたのが印象に残っています。

井口

私は元々教育畑におりましたが、福祉の世界だけではなく教育の世界も個別指導、小単位の教育が叫ばれていたのが20年前ですね。これは画一的な教育による没個性に対する一つのアンチテーゼ(対立命題)だったように思います。画一的な教育の究極は軍隊ですから。21世紀に入り、しきりにダイバーシティ(多様化)が叫ばれるようになりました。しかし、プロセスが多様性に対応していないと結局のところハードが変わっても同じ対応をしてしまうという落とし穴もありますね。流行り廃りはあるにせよ、私たちは要介護者の日常を支えているわけで、そこにいる人材、与えられたハード、資金で工夫を重ねて時代に適応できるように最良のサービスを提供できるように日々挑戦するしかありませんね。

風晴

そうですね。介護保険施行前後で大きく違うのが、保護者・ご家族の権利意識の違いです。措置時代の頃は、「入れてもらっている」という意識が強かったのですが、介護保険施行後は「お金を払ってるのだから、これくらいは当然だ」という意識が強くなったように感じました。私が特養に勤めていた頃が、まさに制度が切り換わった時でしたが、あるご家族に「ウチは他の利用者より高くお金を払っているのだから、他の利用者よりもグレードの高い介護サービスを受けて当然だ。」と言われたことがありました。その時は「それ以上でもそれ以下でもありません。皆同じように質の高い介護を心掛けています。」と答えました。措置から介護保険に変わり、ご利用者・家族は自由に施設を選べることになりました。確かにその通りですが、逆に言えば施設もご利用者を選べることになったのです。

風晴

地域包括支援センターに勤務していた頃は、施設入居を希望するご家族のほぼ全員が、「なるべく(入居費用が)安くて、いい施設を探してください」と言われます。特に青森県に多い住宅型有料老人ホームの評価は様々です。ご家族の要望は当たり前と言えばそれまでですが、そんな施設にはなかなか空きがありませんし、待機者も大勢います。施設入居者のケアプランで究極なプランは何か。それは、入居者ご本人が望んでいるのであれば、施設から在宅への転換ではないか、という議論がありました。しかし、それを許さないのは保護者やご家族でもありました。「やっとの思いで入居できた施設から出すとは何事か!」と、言われることもあったといいます。
高齢者施設の特集記事等を見ると大都市圏を中心に、高額な一時入居金が必要な一見すると高級ホテルと見間違うような介護付き有料老人ホーム等が掲載され、格付けされたりしています。私の住んでいる青森市にも、市民にとっては結構高額な住宅型有料老人ホーム(しかし都会から見るとリーズナブルに思える価格です…)がありますが、入居者募集で苦戦していると聞きます。青森県のように一次産業(農業・酪農畜産・林業・漁業)や自営業だった人が多い地域柄では、そのような施設は“高嶺の花”となっているようです。

井口

サービスが多様で選べるようになった反面、要求も強くなることもしかりですね。しかし、私が今懸念しているのはこの体制は社会的にも長く維持でないという懸念が出始めていることです。たとえば、ケアマネジャーがいなければサービス利用すらできません。令和4年度の介護支援専門員実務研修受講試験(ケアマネジャー試験)合格者数は1万326人。これを現在ある1,718市町村(市 792 町 743 村 183)に振り分けるとたった6名、これはあくまで単純に割った数なのでケアマネジャーが新たに誕生しなかった市町村もあると思います。また介護保険があってもそれを受け入れる事業所がなければ利用ができません。社会は益々高齢化、人口減少に進んでいます。内閣府の高齢白書では、2040年は高齢化率35.3%で年齢のみで支える側と支えられる側と区分けするのは難しいだろうと結論付けています。特養に入れれば「宝くじを当てるくらいの確率」と以前言われていた時期もありましたがそういった時代に再び入る可能性があります。

福祉施設の役割

風晴

これまで、洪水や地震・津波等で大きな被害を受けた施設も多くありましたが、基本的に福祉施設は「福祉避難所」の役割や在宅高齢者・障がい者の緊急時の受け皿ともなります。そのためには人里離れたところにあるのではなく、街や地域のセンター的役割も担わなければならないと思っています。

井口

かつて社会福祉施設の目的は歴史的には、知的障がい者の施設等を人里離れたところにつくり、多数の障がい者が入所していたこともあり、まさに「社会防衛的」な機能を目的とする収容施設として存在したと言わざるを得ない実態もありました。しかし、現在の社会福祉施設は人を隔離収容する目的の場ではなく、ごく当たり前の「生活の場」とひらかれた施設づくりに努力しています。
入所者やその家族を地域社会から隔離し保護するという時代から脱却し、治療、教育的な機能、地域社会のなかでの自立支援的な機能、防災の拠点として地域の人が集うことができる「安心の拠点」になるように各施設には取り組んで頂きたいと思います。

風晴

また、地方は、介護の仕事をしている方の人口割合は都市部より高く、福祉施設は地域の雇用も生み出しています。さらに福祉施設ができると、そこには様々な業者も関わることになり、地域経済の活性化にも繋がります。しかし、最近は地方でも介護職員確保は重大な課題で、技能実習生等の外国籍の方頼みという傾向が出てきています。都市部への人口流失、特に若い世代が減少している地方では、そもそも高齢者自体も減少していきます。それを予測して社会福祉法人等は地元だけでなく、都市部や海外に活路を見出そうとしています。例えば、近い将来、高齢化が進み巨大マーケットとなる中国に日本資本の施設が乱立するかもしれません。

井口

海外は特にジャパンブランドに価値があると考えています。私も様々な国から介護技術を指導してほしいと要請を受けています。高齢社会のトップランナーを走る我々日本が失敗したことやうまくいっていることを各国に分かりやすく教え、支援し、各国の高齢社会の適応に役割を果たせたならば、日本に対する他国の評価を上げる機会になりますね。

風晴

一昔前、よく研修等で言われたフレーズとして、「もし自分自身、自分の親が施設に入らなければならなくなったとしたら、今働いている施設に入りたいですか」という質問がありました。この質問を投げかけられて、自信をもって「ハイ!」と言う職員は少なかったような印象があります。これは自分の働いている施設に不満や物足りなさを感じているということの現れだと思います。「だとしたら自分が入居したい、親などを入居させたいと思う施設にするにはどうすればいいでしょうか」と投げかけてみます。そうすると案外容易に自分が働いている施設の改善点が見えてくるのではないかなと思います。

井口

我々介護福祉士はいかなる時代におかれても、またいかなる困難な状況があっても目の前に生きづらさを抱えている人の為に最期まで支え切る専門家であるという自覚をもち、その使命の重さと誇りを胸に日々のケアにあたっていきたいものです。